辿っていくが、すぐ寄り道。
最初に普通の道と交差するところから東への坂道が気になって。
坂の途中にお店?

牛乳屋? でも「BONSAI ART」って。盆栽は?

その隣は自家焙煎珈琲豆屋らしい。
屋号は「焙煎工房 老婦人の夏」!

さらに坂を上ると、「切通しの坂」という標識。

よくよく見ると「岸田劉生が描いた切通しの坂」。
渋谷区教育委員会による説明。
画家岸田劉生は、大正三年(一九一四)から五年(一九一六)にかけて代々木に住んでいたので、このあたりを描写した作品がたくさんあります。そのうちの一点に名作「切通しの写生」(重要文化財)があり、大正四年(一九一五)に発表しました。
「切通しの写生」、正確には「道路と土手と塀(切通之写生)」は、
国立近代美術館所蔵。画像検索したら、見覚えある。
この坂、どこをどう切り通ししたのか、今、現地で見ても判りにくいが、
絵を見ると、崖を切り通して坂道にしたようだ。
その崖のほうも盛り土で整地したようにも見えるのだが。
この急峻な地形は、河骨川によるものなのだろうか。
坂を上りきったところは西参道、代々木三丁目交番前交差点。
豚骨ラーメン「道楽」がある、馴染みの場所。
川跡に戻る。

さてここからは、lotus62さんと写真がかなりカブってしまうのであった。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-2ae2.html
カブリその1、遺構。

カブリその2、lotus62さん命名、「直列型すばる座状マンホール」。

カブリその3、銭湯跡。

カブリその4、銭湯跡脇。

砂利混合コンクリ柱にミッキーマウス。

正面を見ようと脇を通る。貼紙の効果か、ゴミは散乱していない。

正面入口跡らしきところ。

lotus62さんの記事にコメントさせていただいたが、
この銭湯はウチの最寄だった「第二良の湯」と姉妹店の「第五良の湯」だったようだ。
廃業したのは「第二」よりこちらのほうが早いが、いまだに残っているのはなぜだろう。
「第二」はこちらと違って木造の典型的なレトロ銭湯であった。
廃業直後、廃墟徒然草さんの記事。
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/2834e4853d62051a5e36844321b86fb1
川跡に戻る。隣のアパート跡もなかなかスゴイ。

カブリその5、飲食店の裏。

表は参宮橋駅前の通りの中華屋、お好み焼き&もんじゃ屋。

小田急線に至る。

参宮橋駅脇の踏切へ。

HONDA@東京の水さんの記事によると、
http://tokyoriver.exblog.jp/13393914/
ここの建物が建て替えられ、線路を渡ったところの川の遺構が見やすくなったという。

建て替え前は小さな店が4、5軒並んでいた。
代々木競技場のプールに通っていた頃、帰りによく韓国家庭料理の店に寄って、
ボリュームたっぷりのチゲやプルコギ定食で、水泳後の空腹を満たした。
そのお店はもうない。
今ある「万豚記」も当時からあったが、もっと狭かった。
もう1軒はハンバーガー屋らしい。よく見ると「FUSSA」の文字が。福生?
調べてみたら「DEMODE BURGER」って、lotus62さんが福生で行ったところの姉妹店じゃないか。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fe03.html
さらに、「万豚記」と同じ会社の経営なんだね。
河骨川のこの先は、以前の記事で。
http://ei8at12so.seesaa.net/article/132291559.html
代々木4丁目、川跡と平行する別の道を歩いて帰宅。
オマケ、ウチの近くの「第二良の湯」跡には2軒のマンション。

起伏の激しさを気にしてあまり入り込まなかった代々木4丁目だったが、
河骨川跡が深い谷になっているってことを押さえておけば、
判りやすく楽に歩けるかもしれない。
代々木八幡神社方面への「縦走」も近々、と思う。
本当は「春」の小川を狙っていたのですが、若干、時期が手前になりそうです。
まだ寒いですが、まあ、「暦の上では春」の小川ってことで、よろしいのでは。