2010年03月02日

「ヴェルクマイスター・ハーモニー」

一昨年に見た映画「タクシデルミア」の記事でも触れたが、
http://ei8at12so.seesaa.net/article/96158401.html
ハンガリーという国にかなり昔から妙に惹かれている。
1995年には旅行に行き(阪神大震災発生時もブダペストにいた)、
ますますその思いは増していった。
数少ないハンガリー映画上映の機会はなるべく逃したくない。
2002年にタル・ベーラ監督作品「ヴェルクマイスター・ハーモニー」公開の際も、
前売り券を買っておいたくらいだったが、もたもたしてる間に上映終了という、
大ドジを踏んでしまって、ずーっと後悔していた。
DVDが出てるようだが、ちょっと高い値段の販売のみでレンタルはナシ。
今回、同監督の新作「倫敦から来た男」が公開されたのに合わせ、
特別上映となったので、喜び勇んで出かけた。8年越しのモヤモヤ解消。

シュエットさんの記事を参考にしながら、
http://yorimichim.exblog.jp/7093290/
夢魔のごとき映像世界を思い返してみる。

モノクロ、2時間25分でわずか37カット。
単純に割り算すれば1カット平均4分弱、
なんとなくたいしたことないようにも感じるが、
長いカットはホント長い。どのくらいあったかなあ。
冒頭からスゴイ。
酒場のストーブの中の薪に水がかけられ、主人が閉店を告げるところから始まる。
主人公ヤーノシュが現れ、なぜか太陽と地球と月を客の男たちに演じさせる。
手をビラビラさせる太陽男の周りを地球男が自転と公転を模し、ぐるぐる回る。
地球男の周りを月男が回る。
無限に続くような円環運動に、チベット仏教寺院の巨大なマニ車を想起させられ、
観音菩薩のマントラを唱えてしまいそう。「オムマニペメフム、オムマニペメフム…」
円環運動はやがて店中の男に伝播し、オヤジ達の曼荼羅が繰り広げられる。
店の主人は扉を開け放ち、さあもう終わりだ、出て行けと追い立てる。
ヤーノシュは悔しそうに「まだ終わってなかったのに」と、出て行く。
ここまでがワンカット。
自由に動き回るカメラの前で、緊迫感張り詰める役者の動き。
この時点で充分すぎるほど作品世界に引き込まれる、魔法のような映像。

冒頭をちょっと密教的世界に関連づけてみたが、
その後出てくる要素は、何のメタファーなのか。
知識と記憶の総動員を要求させられるようでもあった。
欧州の映画の場合、聖書と関連づけるとスッキリ見られることが多いのだが、
この映画はそんな一筋縄でいくものではない。
逆に、関連づけを諦め、すべての要素をそのまま受け入れてみると、
完全オリジナルの新たなる神話として捉えることが可能になった。

ヤーノシュが身の回りの世話をしている叔父で老音楽家のエステル。
音律の歴史を口述し録音している。
神の領域であったピタゴラス音律から、
人工的なヴェルクマイスター音律へ。
作品公式サイトによると、
ヴェルクマイスターは、今日も使われている、1オクターブを12の半音で等分した責任者だ。よってヴェルクマイスターは、調律の技法を編み出した人物とも言え、その調律法を"ヴェルクマイスター音律"と言う。J・S・バッハとヴェルクマイスターが友人関係にあったことから、バッハが好んで彼の考案した音律を採用したとも言われている。
エステルによると、
「ヴェルクマイスターのハーモニー」とは神の手を離れ、調和を失った、
聴くに耐えないモノらしく、そんな風に調律した楽器で和音を奏でてもみせる。

そして彼らの住まう町の共同体も、あるキッカケで徐々に調和が失われていく。
やって来たのは移動サーカス団。
トタン張りのトレーラーの後部扉が耳障りな金属音と共に開いていく。
巨大な鯨の尻尾が見える。
ヤーノシュは100フォリントを払い中に入っていく。
剥製の鯨の悲しげな瞳と対峙する。
海の無い国ハンガリーでは鯨は人々の心の中でどんな存在なのだろうか。
「神の偉大な創造欲」を目の当たりにし、興奮するヤーノシュだが、
広場に集まった男たちは不気味がり、誰も見物しようとはしない。

このヤーノシュという男、冒頭の太陽・地球・月の「曼荼羅」を先導したように、
どこかエキセントリックな感性の持ち主らしい。
かといって世間に背を向けるでもなく、奉仕の精神をも持ち合わせている、
天使的人間、宮澤賢治のような、に思え、僕は強くシンパシーを感じてしまう。

そんな彼の性格につけこむように、エステルの別居中の妻、
つまりヤーノシュの叔母が現れ、協力を請う。
夫・エステルを動かし「秩序維持」の活動に仕向けさせる。
サーカス団の「プリンス」と呼ばれる男の扇動で、
暴動が起こることがほのめかされる。

エステル夫人と警察署長の怪しげな関係、
サーカス団長と「プリンス」との仲たがいが描かれ、
唐突に暴動が発生する。

男たちは棍棒を手に夜の街を行進していく。
規則正しい足音が響く。リズムはあるが、ハーモニーはない。
病院が襲われ、弱者がめった打ちにされる…。

夜が明け、自分の名も「リスト」にあることを知らされ、
ヤーノシュは町を出る。
ハンガリー大平原=プスタの真ん中に延びる鉄路を辿り、逃げるが、
追っ手のヘリコプターが不気味に迫る。
操縦士の見えないヘリコプターを正面から捉えた映像、
「2001年」のHAL並みに無茶苦茶怖い!

病院に収容された廃人同様のヤーノシュを見舞った後、
エステルは広場へ赴く。
トタンのトレーラーは破壊され、鯨の剥製が露わになっている。
これはニーチェが「死んだ」と宣言した「神」の姿か。

ここに救済はなかった。

黒澤明って実はあまり好きじゃないのだが、
最高作と思っている「生きものの記録」、
そしてそれをリメークしたタルコフスキーの「サクリファイス」、
主人公が病院送りという、同じ悲劇的結末も、
ラストシーンでは救済が提示されていた。

エステルと鯨は救済たり得なかったと感じる。
監督がドジった? そうは思わない。

有史以来、暴力に明け暮れ、それが最高潮に達したと思われた20世紀、
その最後の年、2000年に製作されたこの作品は、
暴力的文明のエピローグとなるべきだったのかもしれない。
しかし、翌年2001年9月11日には…。

監督の言葉によると、
「全東欧のこの2世紀を決定付けた歴史的経緯に関する作品」とのことだが、
確かに「プリンス」のアジテーションがロシア語(多分)だったり、
戦車が走るシーンがあったりするので、どうしても、第二次大戦、ソ連の衛星国化、
そして1956年、自由を求めた民衆蜂起=ハンガリー動乱などを想起させられる。
しかしそんなことだけではとても収まらない普遍性がここにはあった。
先に述べたように、完全オリジナルの新たなる神話、であろう。

役者について。
エステルの妻を演じたのは、
ヴェンダースの「まわり道」やゴダールの「パッション」に出てた、
ドイツの名女優、ハンナ・シグラ。
主要キャスト、他の2人の名前を見ると、
ヤーノシュ役のラルス・ルドルフ、
エステル役のペーター・フィッツ、共にハンガリー人っぽくない。
調べてみたらやはりドイツ人。
まあ、ヨーロッパ映画じゃ普通のことだね。

というわけで、大満足だったのだが、
新作「倫敦から来た男」を見逃してしまった。
また8年くらい待たなければいけないかも。
ラベル:映画 ハンガリー
posted by えいはち at 17:32| Comment(4) | TrackBack(1) | CULTURE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
えいはちさん、こんばんは。
念願のこれを劇場鑑賞できてよかったですよねー。
題材が題材であるゆえに、音楽も魅力あるものでしたし、映像はやはり圧巻。
今観るからこそ、予言的な不穏さがありましたね。
プロデューサーが亡くなってピンチだったらしいですが、倫敦〜という新作も完成させることができて何より。
Posted by かえる at 2010年03月03日 02:31
かえるさん、ありがとうございます。
しまった、見逃した!って映画は数多くありますが、
コレばっかりはずーっと心に引っ掛かってました。
期待以上でした。もう何日か経ちましたが、いまだにグルグルしています。
「倫敦」と一緒に再上映、待ちましょう。
>プロデューサーが亡くなってピンチ
そうだったんですか。そういう話を聞くとどうしてもカラックスを思い出しますね。
Posted by えいはち at 2010年03月03日 10:45
えいはちさん お邪魔するのが遅くなってごめんなさいね。
私のブログの記事を紹介してくださるなんて!
ちっと恥ずかしながら光栄です! ありがとう。
この監督の長まわし凄いですよね。
演じる役者も大変。
で、この漆黒を思わせるようなモノクローム映像!
この作品もそうだけど、ハンガリーという国がどれだけの闇の時代を歩き続けてきたか、その闇そのものが映像が物語っている。
東欧諸国の映画ってまだまだ日本公開は少ないけど、どれも素晴らしい作品が多い。抑圧されたがゆねに内面のイマジネーションが醸成されたんだなって思うほど、彼らの影像表現には圧倒される。
私も来週「倫敦から来た男」の公開記念で本作をスクリーンで観てきます。「倫敦から来た男」の予告編観たけど、鳥肌が立つぐらいのモノクローム映像。前の日はしっかりと睡眠とって観にいってきますね(笑)
Posted by シュエット at 2010年03月08日 10:45
シュエットさん、お待ちしてました。
ハンガリーって国の歴史、結構キツイ時期もあったでしょうが、なんとなくアッケラカンとやり過ごしてるようにも感じるんです。闇のような映像も、自虐ネタのお笑いに近いものがあるかも。同じ東欧でも他の国とは違う感覚、以前の記事に書いたように妙にシンパシーを感じます。そのうえこの作品ではヤーノシュへのシンパシーも加わり完全にノックアウトされました。
確実に誘眠作用のある映画ですが、どうか頑張ってください!
録画したものを何回かに分けて見るのとは、きっと違うものが見つかるでしょう。
Posted by えいはち at 2010年03月08日 12:55
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Excerpt: Werckmeister Harmonies 2000年/ハンガリー・ドイツ・フランス/145分 シネフィルで放映されていて、タル・ベーラ監督と本作を知った。 日本では2002年に公開さ..
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