2010年07月13日

7月10日の行動 幼年期プレイバック その1 向ヶ丘遊園〜いきなり墓参

lotus62さんが稲田堤から二ヶ領用水を辿るシリーズを始められた。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-20e7.html
文中の「登戸」、「宿河原」の文字には反応してしまう。
幼年期を過ごした場所なので。
加えてnamaさんのこちらの記事、全然関係ない国立のことなのだが、
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/07/post-256c.html
廃線跡の駐輪場というものを見て、向ヶ丘遊園のモノレール跡も思い出し、
そっち方面に出かけてみようと思った。

新宿駅まで歩いていき、小田急の急行乗って向ヶ丘遊園駅へ。
子供の頃、よく連れて行ってもらった遊園地は2002年に閉園。
駅名はそのまま。
実はこの駅と、ここから延びていたモノレールは、その頃利用した記憶はない。
遊園地にはもっぱら親父の運転するクルマで行っていたので。

この駅を何度か利用したのは成人後のこと。
パスポート申請のため必要だった戸籍謄本をもらいに、
当時本籍があった川崎市多摩区の区役所(北口徒歩5分くらい)に行ったり、
生田緑地、岡本太郎美術館に行ったり。
そうそう、昔、同僚が入院したとき見舞いにも行った。
その病院が地図上に見当たらないので調べたら閉院したようだ。

駅前の「公共のりもの案内」。

20100710_01.jpg

載っているのはすべてバスなのだが「のりもの」となっているのは、
モノレールがあった名残だろうか。
よく見ると、モノレールの軌道は描かれたままで横の文字だけが消されている。

駅前ロータリーから真っ直ぐ延びる駐輪場。これがモノレール跡。

20100710_02.jpg

これを辿って遊園地跡に向かうつもりだが、昼時だったのでまず食事。
以前、岡本太郎美術館に行ったとき寄ったラーメン屋へ向かう。

細い路地があったので入っていってみる。結構人通りが多い。

20100710_03.jpg

民家園通り商店会に出て、踏切のほうへ。
「雪濃湯」、スールータンと読むらしい。

20100710_04.jpg

中華っぽい響きだが、珍しい牛骨スープのラーメン。
初めて食べたときはかなりインパクト強かったが、
今回はそれほどでもなかった。
単に2回目だからということではなく、
最近よく食べるようになった横浜家系ラーメンに似ていると気づいて。
もちろん充分美味しいし、豚骨とは違う独特の牛骨の旨みも堪らないが、
あれ?こんなもんだったっけ?という感じ。
以前は都内に支店はないかなと探し(旧店名は『醍醐』といった)、
青山にあるらしいので行ってみたら既に閉店だった、なんてこともあったが、
今は横浜家系ラーメンでもいいか、という感じ。

駅前の通りに戻り、進む。
このダイエー、モダンな建物のように思っていたが、よく見るとずいぶん古臭いなあ。

20100710_05.jpg

府中街道と二ヶ領用水に沿ってモノレールの軌道はあった。
支柱などはすべて撤去され、遊歩道「五ケ森堀緑地」として整備されている。

20100710_06.jpg

かなり川幅の広い用水本流を右手に見ながらちょっと歩くと、
左手に分水が現れる。

20100710_07.jpg

水門(画像は2枚撮って合成)の先はちょっと暗渠となる。

20100710_08.jpg

こちら本流。

20100710_09.jpg

遊園地跡は一部が「生田緑地ばら苑」となっているのだが、
公開されるのは薔薇の季節の春と秋のみ。
モノレール跡は「ばら苑アクセスロード」となっている。

20100710_10.jpg

ちょっとだけ寄り道。
先程の分水の続き。わずかな暗渠区間の後、開渠となって流れる。

20100710_11.jpg

戻る。いかにも「ばら苑アクセスロード」。

20100710_12.jpg

キレイに整備されていた歩道はここ新開橋の先は急に殺風景となる。
ばら苑に行くにはこの橋を渡るため。アクセスロードはここまで、ということ。

20100710_13.jpg

しかしモノレールはこの先へも続いていた。
そして遊園地正門前に駅があり、用水と道路は陸橋で渡るようになっていたようだ。
駅のあったであろう場所で足元を見ると、小さなプレートが埋め込まれていた。

20100710_14.jpg

よくよく見ると、連番で続いていたようだ。うー、気づかなかった。
あと、橋脚のミニチュアのモニュメントもあったようだが、それも見落とした。
かなりテキトーに歩いてきちゃったようだ。暑くって。

用水の対岸から遊園地跡を望む。

20100710_15.jpg

敷地はフェンスで囲まれ、残土が積まれた先に「虹の階段」。
この光景は僕にとって衝撃的だった。
子供の頃、わくわくしながら何度も上がった階段。
ところどころ塗装は剥げ、好き勝手に育った植物に覆われんとしている。
まさに廃墟。
もうひとつ先の橋で用水を渡り、近づく。

20100710_16.jpg

廃墟的なものに惹かれてきてはいたが、
今まで見てきたものはすべて自分とは縁のないものの成れの果てであった。
幼い日の記憶に刻まれた光景の廃墟への変貌を目にしたのは多分初めて。

20100710_17.jpg

そうだ、階段脇にはリフトもあったなあ。

20100710_18.jpg

言い表すことの出来ないような感慨に、しばし浸る。
園地跡は住宅街に生まれ変わるようだ。
この階段はどうなるのだろう。
正門跡には計画図も載っていた。
園内にあった池は調整池として残るようだ。
この池を掘る土方を、我が親父は学生時代にバイトでやったという話、何度も聞かされた。

正門跡右手にはばら苑のゲート。閉まってる。

20100710_19.jpg

そして左手の工事現場。

20100710_20.jpg

「藤子・F・不二雄ミュージアム」が出来るらしい。
この辺りに縁があるのかなと調べたら、住んでたみたい。
藤子不二雄の縁の地っていうと藤子プロがある我が西新宿の印象が強かったが、
まあこっちのほうが広くていいね。
駅からはちょっと遠いがモノレール再開するわけにもいかんだろうから、
駅前に「どこでもドア」設置すればよいのでは。
(駅前じゃなくて都心に置けって? 小田急が猛反対するよ)

新開橋まで戻り、北へ向かう。
この辺りは梨園が多い。と言っても海老蔵&麻央とかはいない。

20100710_21.jpg

この先の、京都の名刹と同じ名前(読みは違う)のお寺、
ウチのお墓があるので寄る。

20100710_22.jpg

昔は墓地からもモノレールが見えたのだが、マンションが建って視界は遮られた。
そしてモノレールも無くなった。

20100710_23.jpg

花も線香も持たずに墓参。
一応ゴシゴシ墓石を掃除しておいた。

寺からまた北へ向かうと、先程の分水に再会。

20100710_24.jpg

流れに沿って東へ。
別のお寺のところで沿った道は途切れるので迂回。

20100710_25.jpg

流れに再会してちょっと行くと、神社脇、宿河原会館。

20100710_26.jpg

この手の公民館的物件も、
lotus62さん仰るところの「暗渠サイン」のひとつかなって思ってる。

この後、神社にお参りして宿河原駅方面へ。
(つづく)
posted by えいはち at 16:16| Comment(8) | TrackBack(0) | 行動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんだかしみじみとする、良い旅ですねぇ。
モノレールの廃線跡は初めて見ました。やっぱ駐輪場、遊歩道あたりになるんですね。

牛骨ラーメン、青山にありましたねぇ。わたしも覚えてます。その店舗、たしか小平の駅前にもあったやつじゃないでしょうかね。なかなか美味しかった記憶がありますが、BSE騒動でなくなっちゃったような。
それからラーメン屋さんに向かう道、ちょっと暗渠ぽくないですか。
Posted by nama at 2010年07月13日 17:33
おお!!モノレール跡と向ヶ丘遊園廃墟には驚きました!
こんなんなってるんだー、いまは・・・。
私も20年ほど前に虹の階段登りましたです・・・この辺にはちょっとだけ住んだことがあるだけに、いつにも増して諸行無常感の大きな廃墟でしたー。
でも、ちょっとだけえいはちさんのお墓参りのきっかけを作るのにお役に立てたようで、嬉しく思います。
Posted by lotus62 at 2010年07月13日 18:39
虹の階段、なんだか切ないですね。それにしても植物の繁殖力というのは凄まじいものですね。放っておくとそのうちすべてを覆い尽くしてしまうのでしょうか。アンコールワット状態。。。
Posted by HONDA at 2010年07月13日 23:29
namaさん、
ここのモノレールについてはいろいろ検索してみてください。
もっとちゃんとした廃線レポートも、また現役時の勇姿も見つかるでしょう。
青山の牛骨ラーメンはご存知でしたか。BSEは厳しかったでしょうね。
あの細道はおそらく暗渠でしょう。商店会の通りを挟んで続きがありましたので。

lotusさん、
3年くらいお住まいだったんですよね。
考えてみれば、僕も記憶が残ってる期間はそのくらいだったかも。
子供の頃の数年間って大きいですね。
墓参のきっかけ、ありがとうございます。

HONDAさん、
植物の繁殖力を見せつけられるような光景は大好きなんで、
思い出深い階段が覆われようとするさまには、実はちょっと嬉しさを覚えたのも事実です。
ああ、君は本当に「草葉の陰」に行ってしまうんだね。最後に会えて良かった…みたいな。
Posted by えいはち at 2010年07月14日 08:33
五ヶ村堀ですねえ。
http://tanken.life.coocan.jp/setagaya/nikaryou-sub.html#gokason
遊園の駅前をそそくさと横切ったかと思うと、優美な遊歩道になっていたり、錆びた水門が残っていたり、本流のすぐ脇をすました顔して流れていたり、墓地のすぐ横を流れていたり。
五ヶ村堀の流路界隈のマルチっぷりは半端じゃないと思います。鯉までいるし。

それにしても向ヶ丘遊園、私もたびたび偵察に行ってるんですが、毎度フェンスのすぐ前に立っちゃうので内部がちっとも覗けないのでした。少し離れて川越しに覗けばよかったんですね。(笑)
冬はスケートリンク、夏はウルフェス(円谷プロのアレ)、いろんな思い出がよみがえります。
閉園後の跡地利用、一度なにかの企画が頓挫してますよね。
いっそ藤子ミュージアムも頓挫して、このまま草に埋もれていて欲しい気もします。
Posted by 庵魚堂 at 2010年07月15日 13:44
庵魚堂さん、今回もご教示ありがとうございます。分水にもちゃんと名前があったんですね。
そうなんです、デカイ鯉が悠々と泳いでいたり、小さな魚も群れていたり、流れ沿いの光景の多彩さはその雰囲気が写真に収められないほど半端でなかったです。また改めて用水メインで訪れたいと思います。
向ヶ丘遊園に思い出ございましたか。でもちょっと時代がズレてますね。ウルトラマンフェスティバルはまだ無かったです。だって僕が行ってたのは、初代ウルトラマンの本放送やってた頃ですからね!
草に埋もれるボロボロのドラえもん等身大フィギュアを想像…、いいですね。
Posted by えいはち at 2010年07月15日 23:33
はい、ウルフェスはだいぶ時代が下ります。子どもを連れて行きました。ってか行かされました。平成三部作とかいう時代のウルトラマンです。
大階段の中央、もともとは花壇だったのかな、そこにでっかいウルトラマン像が立ってましてね。子どもどもはそのウルトラマン、親は「園内も変わっちまったなあ」なんて見ているところが全然違うという。(笑)

で、私の呪いが通じたわけではないと思うんですけど、跡地の計画はやっぱりビミョウな匂いが漂っているみたいです。
http://www.pjnews.net/news/794/20100410_2
Posted by 庵魚堂 at 2010年07月16日 00:22
平成ですか。思いっきり最近ですね。
今さらですが、僕も「変わっちまったなあ」って思いたかったです。
跡地開発計画、850戸から220戸へ縮小ですか。
どっちにしろ面白みはないですね。
Posted by えいはち at 2010年07月16日 07:53
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