遊歩道の名前にもなっていたが「五ヶ村堀」というらしい。
(庵魚堂さんからのご教示)
神社へ。「鎮守 八幡宮」とある。氏神様らしいが記憶にはない。

手水は普通の蛇口。このスタイルは意外と初めてかも。水出して参拝。

神社脇に続く「五ヶ村堀」。

この先、暗渠となる。

北へ。宿河原駅に向かう。
また用水と出会う。

二ヶ領用水の、宿河原堰から取水されてるほうの流れ。
橋を渡ると、こじんまりとした駅前商店街。
渋いスーパー。残念ながら仕舞屋みたい。

駅の脇、大丈夫?って思いたくなるような跨線橋。上っていく。

ホーム裏に待避線。

斜めに延びていく細道があり、

その延長線上には緩やかにカーブしていく道。

地図で見ると実にキレイに弧を描き多摩川に至る。
コレ、廃線跡っぽいなと思った。
なので、実はウチを出る前、親父に電話して確かめた。
やはりそうであった。
多摩川で採取した砂利を運ぶ支線、だったそうだ。
跨線橋脇の書店。この数字、何だろうって思ったが、ああ、電話番号か。

廃線跡の道を行く。
前方左手は稲田中学校。親父の母校。

学校と廃線跡との隙間の敷地に宿河原四丁目会館。

特異な形状で、細長い土地を有効活用。
暗渠サイン的物件でもあるので、暗渠と廃線の共通点を感じる。
多摩川の土手が見えてきた。

土手沿いの道に出る手前の路地。

ものすごーく奥のほうにしまってあった記憶が蘇ってきた。
路地に入っていく。
うー、間違いない。

ああ、ココだ。ウチがあったところ。

オンボロアパートは既に無く、新しいキレイな家が建っていた。
しかし、昔からある近所の一戸建てはそのまま残っている。
いくつか記憶に残ってる苗字の表札もあった。

やっぱりこの辺りが自分の原風景なんだなあって思う。
こんな感じの町並みには、今も惹かれて写真に撮りたくなるので。
ちょっと歩いていくと、通っていた幼稚園に着いた。

あー、意外と広かったんだなあとか、しみじみ眺める。
幼稚園脇の道、暗渠っぽい。これも原風景のひとつだろうか。

多摩川へ。
勝手に遊び場にしていたNECのグラウンド。

宿河原堰。

河原にある舟島稲荷神社。

ココの手水は井戸。ポンプを動かしてみたが、水は出なかった。

お稲荷様の狐はよく金網で囲まれているが、

こんなふうにされちゃうのを防ぐためなのかな。

この辺り、多摩川沿いは近年も何度か訪れている。
http://ei8at12so.seesaa.net/article/52062368.html
http://ei8at12so.seesaa.net/article/56851960.html
二ヶ領せせらぎ館というのがあるのだが、まだ見学したことはなかった。
今回は入ろうと思っていたのだが、時間がなくなってしまった。
また今度。
二ヶ領用水、宿河原堰の取水口。

登戸駅に向かう。
ぼーっとしてて、間違えて南武線の改札に入ってしまった。
駅員にPASMO渡してキャンセル。
だって、こんなキレイになっちゃったら、南武線だと思えないもん。

小田急乗って帰る。
「ここだ」って気づくあたりのへんな、低い高揚感は、自分のことのようにゾクゾクしました。
こがねストア、、、という名前は初めて知りましたが、何度か買い物したことがあります。
カゴ売りの果物を買ったら予想外にお荷物になってしまって、そのあとの探検テンション急落。でもまあ得した気分だったのでチャラ(笑)
そうですか、閉店しちゃいましたかあ‥‥。
稲荷社のキツネって、鼻先折られてるのをけっこう見かけます。
たとえば‥‥と記憶を辿ってみたら、目撃したのは(たまたまかもしれませんが)いずれも川崎市内でした。
耳と鼻だけピンポイントで狙われているので、同一グループの犯行か。
たまに首が折られていることもあるんですが、ちょっとした悪戯くらいでは鼻だって折れませんよねえ。
駅の南側の商店街はまったく記憶ありません。
あのスーパーが営業してるところ見たかったです。
キツネ襲撃グループ、存在するんでしょうかね。
ウチの親父は関与してないだろうなあ。