もうおよそひと月前のことを今頃やっと。
この日は、久々に幡ヶ谷チラグデリーのカレーバイキングランチ、
奈良のごこめさん(5*SEASON)から案内ハガキ貰った「おまもり展」、
という2つのポイントが先に決まり、その間をバスと散歩で結んでみようというプラン。
初台から電車一駅、幡ヶ谷へ。
駅真上の地下街内、チラグデリーへ。
一時期あったマンゴーピクルスなくなっちゃったみたいだけど、
ココのカレーはあいかわらず好み。
食後、玉川上水旧水路跡を歩いていく。
ココの遊歩道には橋跡を模したモニュメントが多数存在する。
そのうちのひとつ、山下橋。

ココに玉川上水が存在していた頃から在ったモノではないということは、一目見て判る。
いろいろ意匠を凝らしたコノ手のモノと、いくつも遭遇するのだが、
別にそんなにバラエティ豊かにしなくてもよかったのになあ、なんて思っていた。
そしたら今回、この脇にこんなモノ見つけてしまった。

うーん、なんで今まで気がつかなかったのだろう。
かつてのホンモノの山下橋の親柱であろう。
そうしたら、代々幡橋のもあった。

この、なぜか赤く塗られた「水道用地」は明大和泉校舎脇でも発見していたが、
ココにもあったか。

東急バス、幡ヶ谷折返所。

表にまわる。

どうやらココはホントに折返所だけで、バス乗り場はもうちょっと先のようだ。
ちょっと歩くとバス停。ほぼ1時間に2本のみ。

しばし待つと先程の折返所から発したバスがやって来た。乗り込む。
しばらくは出発した玉川上水旧水路沿いを走る。
五條橋で中野通り延長の道に出て大山交差点へ。
この時点で玉川上水跡からは離脱。しかしその後は三田用水跡を走ることとなる。
玉川上水を上がって三田用水へ。まるで両棲類的バス。
小田急、東北沢駅脇の踏切を渡り、
東大先端研の前、駒場公園の近く、東大駒場キャンパスの脇とか通りながら、
山手通りに合流。
松涛から旧山手通り経由で246へ。
道玄坂下りていくのかなと思ったらそのまま246で渋谷駅へ。
渋谷駅西口のバスターミナルから歩道橋渡って桜丘町へ。
代官山まで歩こう。

崖下に沿った道を行く。


崖上に渋い家。その向こうはYAMAHAのスタジオか何かか?

隣もまたイイ。有名な物件なのだろうか。

ずんずん歩いていく。
あるマンションの下にあったスーパーが閉店してしまったらしい。カラッポ。

新たなテナントを探してる最中だそうだが、住民は大変だ。
角を曲がる。
青山製図専門学校の斬新な校舎。

ふと横道を見るとこんな感じ。怪しい。

お、やはり水路跡らしい。

先程の閉店したスーパーのあるマンションや青山製図専門学校も、
建ってるところは谷底のような感じであった。
後で、chocochipscoukさんとのツイッターでのやりとりや、
orangepeelさんのブログで詳しいことを知る。
http://orange.s48.xrea.com/mt/archives/cat_river.html#001054
そのうち辿ってみよう。
代官山に向かうため南へ。寺があった。本門佛立宗乗泉寺。
「本門」といえば思い出すのは池上本門寺。
ココも日蓮系かな、と後で調べたらやはりそうだった。
本門佛立宗の歴史は比較的浅く、幕末から明治の頃に起こり、
宗派として独立したのは戦後のことのようだ。
ちょっと寄り道。

竹林の中の切り株にガマガエルの置物。

猿楽町へ。

もうココはすっかり代官山。この中央分離帯、何だろうね。

東横線、踏切の向こうは、どう見ても切り通し。

代官山アートラッシュ到着!

「おまもり展」を見て、ごこめさんの作品、「しくる守袋」購入。
http://5season-exhibition.seesaa.net/article/178009615.html
小さな曼陀羅とお守り袋のセット。
曼陀羅の裏に願い事を書いて、たたんでお守り袋に入れて持ち歩く、
という使用法だが、いざ願い事って、なーんにも思い浮かばない。
ってことをごこめさんにお知らせすると、そりゃ幸せだと、お返事。
この後は渋谷川へ。
(つづく)





riverカテゴリが重くなっており申し訳ございません。
やっと開いてあらためて鉢山口水路跡の地図を見て、
貴重な史料だなあ、と他人事のように驚きました。
戦争直後の光景が生々しくうかびあがります。
お守りでおもいだしました。
中野にキリムの専門店があって、
うつくしい蒼色のトルコ製ガラス玉をみつけました。
嫉妬や邪念をはねつけるお守りらしいのですが、
他者からのものではなく、自身の嫉妬や邪念をとりはらうもの、
という意味ととって身につけております。
“ガラタバザール”という宝石箱のようなお店です。
↓
http://www.galatabazaar.com/guide/merhaba.php
昔はもっと長いルートを走っていたようです
幡ヶ谷はまんま京王のテリトリーなので子供の頃は東急のバスが何で走っているのかなと思っていました(同様に初台から渋谷ルートも)
青山製図専門学校の校舎は斬新過ぎますよね、ガンダムやマジンガーゼットを思い出しました
上の方の看板、燃えさかってて良いですねー。
代官山横の切り通しふもと、新坂橋の親柱と橋跡は健在でしたでしょうか…?
工事やってたからなくなってないかと気になっています。
あの水路跡は改めて辿ってみようと思います。
キリムっていうんですね。空飛ぶのは売ってないかな。
嫉妬や邪念をとりはらうお守り…あー、僕には必要ないかも。
青梅街道沿いってことは、何度か自転車で通過してるはずですね。
おさむかなさん、
昔のもっと長いルートって?
テリトリーが決まってるっていうのもちょっと困りモノです。
個人的には山手通りを延々と走る路線が欲しいんですが、
都バスでやってくれないかなあ。
青山製図専門学校、中はどうなっているのでしょう。
namaさん、
キッチンじゃないって、焼肉だって。
lotusさん、
渓谷なんですねー。
渋谷区生まれなのに、渋谷のことはかなり疎くて、
橋跡とか知らないんです。
橋跡ですが、この切り通しでの東横線工事現場にひとつ
猿楽分水に架かっていた風前の灯的な橋跡があったのです…。ご参考までに、拙記事ですがご紹介させていただきますね。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-8177.html
そういえば渋谷川沿いなんですねー。
代官山の踏切手前に橋跡があったんですか。
気づきませんでした、というか、残ってるのかなあ。
渋谷駅〜東北沢〜幡ヶ谷の東急バスは、
戦前は、幡ヶ谷から先、六号通り〜川島通りを抜けて中野まで行ってました。
事業エリア的には、今の京王バス中野車庫は、元々東横バス=東急バスの営業所でした。
戦時中の合併(大東急に京王が併合)を経て、戦後の分割時に、甲州街道を境に北を京王、南を新生東急と分割したようです。
ところで、バス路線の免許というのは、面的なものではなく線的なものなんです。
なので、甲州街道以南の(元々バスは通っていなかった)山手通り・井の頭通りは戦後になって新たに京王に免許が下りたものという解釈で良いかと思います。
初台に来ていた東急バスが旧道経由だったのもそういう理由だと思われます。
京王はこの地域への路線進出に積極的で、一方東急はそうでもなかったということでしょう。
結局、本来、東急のシマだったはずの地域から東急が一掃されて、京王の地盤になりました。この傾向は今も続いてますね。
ところで、渋谷駅〜東北沢〜幡ヶ谷間がそれ以北と分断したままなのは、戦争末期の運休状態から復旧したとき、既に京王と東急が分割していたから、ということがあります。
北の部分は、幡ヶ谷から東に折れ、今の中野駅〜中野車庫〜新宿駅西口の京王バスの前身になっています。
このあたりは、拙稿にも書いています。
宿41、45の交通郷土史
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1428616066&owner_id=4170098
また、渋谷駅〜東北沢〜幡ヶ谷線は、東急バスのルーツにあたる路線(もっとも古い路線なんです)ということ、井の頭通りへ行く路線と違い道玄坂方面へ出る路線ということが、東急路線として維持されている理由と推測してみます。
毎度ありがとうございます。
そういえば以前も、六号通り〜川島通りにバスが走っていたということ聞いていたような。
幡ヶ谷折返所というのは分断後に出来たモノということになるのでしょうかね。