1984年の第2作「伽耶子のために」(※耶は本当はニンベンがつく字)。
前作からのインターバルが3年というのは普通ならかなり長いが、
現在までの小栗康平にとっては最も短い。
2作目と3作目の間が6年、3作目と4作目の間がまた6年、
4作目と5作目の間は9年、5作目から現在までもう3年が経つ。
このペースだと次回作は最速でもあと3年後、よくて6年後、
ヘタしたら9年後とか(なぜか3の倍数)。
この作品も今回の特集上映で初めて見ることができた。
李恢成の小説が原作。
在日コリアンの青年と、やはり在日の養父に育てられた日本人少女。
兄妹のように互いを思っていた二人の恋の物語。
日本社会における差別や偏見。
それはこの作品の中では告発の対象などではなく、
単なる舞台装置のように描かれる。
彼らの「ちゅうぶらりん」の状態を際立たせるための。
アイデンティティを維持するためか、彼らはよく歌い踊る。
しかし、もっとも重要な要素、故国の「土地」からは離されてしまっている。
少女も日本人でありながら、養父の下で名前も変わり、
「ちゅうぶらりん」の立場は一緒。
そんな彼らの不安と哀しみが、スクリーンからひしひしと伝わる。
少女は北海道の養父母から逃げるようにして、
東京の青年のもとに身を寄せる。
しばしの安堵と幸福も、養父母に居場所を見つかり終焉を迎える。
養父母にとっては大事な娘を青年に奪われたようなものだ。
かつては家族のように慕っていた者同士が、
奪った者、奪われた者として対峙する。
故国を奪われた在日コリアンの境遇が重なって見える。
淡い恋は終わり、月日は流れ、
養母が亡くなったとの便りを受け、青年は養父に会いに行く。
そこで向かえる、胸が張り裂けそうな切ないラスト…。
前半、ベタなラブストーリーかと思わせて、
後半、その後の作品で顕著となる小栗ワールドが画面で炸裂。
今回の特集上映のタイトルは、
「フレームの向こうにあるもの、見えるもの 小栗康平 全映画」だが、
まさに「向こうにあるもの」をこの監督はその卓越した手法で見せてくれる。
特筆すべきは、これがデビュー作となる南果歩の清楚な美しさ。
近年彼女が渡辺謙に寄り添ってハリウッドに表れたとき、
多くの記者が Who is she? と思ったようだが、
映画記者の分際で世界のオグリの主演女優を知らんのかと一喝してやりたい。
個性的な脇役陣にも注目。
冒頭の汽車のシーンから殿山泰司が登場。
前作では主演の田村高廣も1シーンのみ出演。で、それとは関係ないシーンで、
映画の話題になり、「バンツマ」(阪東妻三郎)の名がセリフに出てくるが、
田村高廣をそこに絡めるような楽屋落ちは、この監督は流石にやらないね。
そして後半、極めて重要な役に蟹江敬三。
みんな前作「泥の河」に引き続いての出演。
小栗監督のフィルモグラフィーの中では、国際映画祭での受賞歴などで見れば、
やや地味な印象を受けていたが、とんでもない。
「泥の河」以上に心に残ったかもしれない。
小栗作品、一本も見逃すべきではない。




