1996年の第4作「眠る男」。
岩波ホールでの公開時に見た、初めて接した小栗作品。
この映画の製作は群馬県。
なんでも県人口が200万人に到達したことを記念しての作品ということ。
地方自治体のその手の事業といったらいわゆるハコモノが定番であるのに、
それを廃し、「精神的モニュメント」として映画が、
それもご当地の観光案内モドキではなく、
普遍的な価値を持つ作品が作られたということは、画期的なことであった。
同県出身の小栗監督に白羽の矢が当てられたわけだが、
決して解かり易い作品ではないので、
税金を使う以上、当時の県議会や県民の反応はどうだったのだろうなどと、
今さらながら気にもなる。
まだ小栗作品未体験だった僕は、
当時の、岩波ホールで記録的ヒットとのニュースを聞いても、
たまに見かけるような、しっとりとした日本的美しさに溢れた映画、
せいぜいそんな程度のものであろうと考えていた。
それでも見に行く理由には充分なので、神保町へ足を運んでみた。
そんなノリだったので、衝撃は大きかった。
なにしろ同時代の同じ国に、詩情と思弁、両方を併せ持つ、
アンゲロプロスやタルコフスキーと肩を並べるような監督がいたってことを、
初めて知って。
群馬の、とある町。季節は秋。
山中での事故から、意識不明で眠り続ける男。
彼の家族、友人、町の人々の普通の生活が描かれる。
父親の「山にもっていかれた」というセリフ。
誰よりも故郷の山を知り、山を愛した男の魂はすでに山にあるのだろうか。
あらためて魂ってなんだろうと考えさせられる。
眠る男だけに許される、自由な魂の彷徨。
飛び回る魂と、家で寝ている肉体、それらをつがう見えない糸が、
静かに、町の人々を守っているようにも感じられる。
眠る男の親友は、記憶も定かでない子供の頃の、山の中の家での記憶をたぐる。
その家は今では住む人もなく、冬は雪に埋もれながらも、確かに存在し続ける。
眠る男の家の庭にも雪が降り積もる。
季節の移ろいが美しく描写される。
春、庭で咲き誇る白木蓮。
夏、眠る男はいよいよ衰弱し、ついに息をひきとる。
母は庭に突然立ち上がったつむじ風に、旅立つ息子の魂を見る。
火葬、そして、町の人々の集いで演じられる能「松風」。
生と死の境界線を行き来するイメージが続く。
東南アジアパブで働く南国の女。
山の中であの世へ旅立ったはずの「眠る男」と出会い、言葉をも交わす。
彼岸と此岸の自由な行き来。
導かれるように行き着いた先はあの山の中の家。
眠る男の親友もまた訪れる。
その家は魂の依り代であろうか。
山、森、田畑、木々、川、温泉、月、風、雨、雪…。
日本の風土で育まれた魂は、こんなに美しい映画を生み出すことも、
また、それに感動することも出来る。この上ない喜びを感じる。
トリビア的なことをいくつか。
眠る男の役は韓国の名優、安聖基。
全編ほとんど眠っているだけの役なのに強い存在感。
南国の女を演じるのはインドネシアの名優、クリスティン・ハキム。
稲川素子事務所のタレントで済ませなかったのも監督のこだわり?
知能に障害のある、オカリナを作る男に小日向文世。まだ髪の毛フサフサ。
装飾助手のスタッフとして、「呪怨」の清水崇が参加している。
「呪怨」に出てくるオバケといえば伽椰子、
小栗監督の2作目「伽や子のために」へのオマージュ?
そんなわけないとは思うけど…。




