「ボブ・ディランの伝記映画」とされているこれはさすがに、
ファン歴30余年、筋金入りのディラン・フリークの僕としては、
やはり見ておくべきかな、程度に考えていたのだが、意外にも、
過去数回体験しているディランのライブに匹敵するくらい、
エキサイトさせられ、大満足であった。
僕が初めてディランのコンサートを見たのは1986年、
トム・ペティ&ハートブレーカーズをバックに従えての武道館公演。
(その前の1978年初来日時はまだ中学生で、
コンサートのチケットの買い方も知らなかったので、見送った)
ステージに現れたポップ・ミュージックの「巨人」は驚くほど小柄で華奢だった。
そして、ヒゲ面のオヤジのはずなのに、中性的なセクシーさを漂わせていた。
サザン・ロックの代表、ハートブレーカーズのサウンドに、
黒人女性のゴスペル・コーラスが絡み、
アメリカのすべてが凝縮されたようなステージだった。
その前年に見た、ブルース・スプリングスティーンの初来日公演で、
ロックンロールの究極を見てしまったように思ったが、
スプリングスティーンからは「アメリカ東海岸の白人男性」を強く感じたのに対し、
ディランから感じたのは、アメリカの全土であり、
性別も年齢も宗教も問わないすべての人種のための歌だった。
なので、
1人の人間を6人の俳優が演じる、それも黒人少年や女性も含め、
という斬新な手法も、まさに「我が意を得たり」であった。
6人の俳優が演じたのはディランそのものと言うより、象徴的キャラクターだ。
フィクションと、「ディラン史実」が混交して描かれる。
また、楽曲もすべてディランのナンバーだが、
各キャラクターが歌っている(という設定の)ものと、オリジナルのディランのもの、
それぞれが憎らしいほど効果的に映像に絡む。
憧れのウッディ・ガスリーの名前を騙り、ギター片手に貨物列車で放浪する黒人少年。
ギターケースに書かれた「ファシストを殺すマシン」、大人相手の生意気な言動は、
ディラン初期の頃のインタビューでのマスコミを煙に巻く受け答えを彷彿とさせる。
黒人の老人らと「トゥームストーン・ブルース」を、
白人家庭のリビングルームで「船が入ってくる時」を歌う姿に、
アメリカ全土の音楽を貪欲に吸収していったディランのトレースを見た。
さらに、入院中のウッディ・ガスリーを見舞う「史実」も再現されている。
新進気鋭のフォーク・シンガー、ジャック・ロリンズは、民衆の代弁者。
黒人女性給仕が白人男性客に撲殺されながら無罪となった実際の事件を、
「ハッティ・キャロルの寂しい死」で切々と歌う。
その姿は60年代前半の「史実」に極めて近い。
彼について語る女性シンガーのモデルは、明らかに同志ジョーン・バエズ。
いつしか彼は隠遁し、数年後、ジョン牧師としてペンテコステ派教会で説教をし、
ゴスペルとして歌う曲は「プレッシング・オン」。
80年前後のクリスチャン期を大胆にも牧師として描いてしまった。
ロリンズをモデルにした映画でスターとなった俳優、ロビー・クラーク。
フランス人抽象画家の妻との破綻した結婚生活は、
家庭人としての失敗を描き、多くの愛の不毛をテーマにした歌を思い出させる。
シャルロット・ゲーンズブール演じる妻クレアは、
結婚には至らなかったものの思想的影響を与えた恋人スーズ・ロトロと、
結婚し4人の子供をもうけた妻サラ・ディランとを合わせた人格のようだ。
ロビーとクレア、出会ったばかりの頃のラブ・シーンに絡むのは、
オリジナル・トラックの「アイ・ウォント・ユー」。
フォーク・ソング・フェスティバルに集まったインテリゲンチャ連中に、
マシンガンぶっ放すように「不良の音楽」を叩きつけたロッカー、ジュード・クイン。
ニューポート・フォーク・フェスでの「史実」通り「マギーズ・ファーム」でスタート。
大ブーイングを浴びても、知ったこっちゃないと英国ツアーへ。
ビートルズと思しき連中との「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」ごっこで笑わせてもくれる。
鬱陶しいジャーナリストを追い詰めるように鳴り響く、「やせっぽっちのバラッド」。
《何かが起こりつつあるけど、それは何かあんたにはわからないんだよ、Mr.ジョーンズ》
時折画面を這う毒蜘蛛は、この頃出版された詩集「タランチュラ」を象徴。
ライブ・アルバム「ロイヤル・アルバート・ホール」に収録されている「史実」、
ステージ上での観客との「ユダ!」「嘘つきめ!」の掛け合いも再現。
帰国後、猛スピードで突っ走っていたコイツは、「史実」通り、
バイク事故で瀕死の重症を負う。
このジュードを演じたのが、女優ケイト・ブランシェット。
恐ろしいほどハマってる!
リチャード・ギア演じるアウトロー、その名もビリー・ザ・キッド。
バイク事故後の隠遁、そして内省的でゆったりとした活動期間の象徴か。
サム・ペキンパー監督の映画「ビリー・ザ・キッド」に出演したり、
別人のような澄んだ声でカントリーを歌ったり、謎の多い時代。
開拓時代の風景の中で歌われるのは、アルバム「地下室」に収められている、
「アカプルコへ行こう」。
かつては無法者と保安官だった、
ビリー・ザ・キッドvsパット・ギャレットの対決が再現されるが、
ビリーは捕らえられかけのところで逃げ出し、貨物列車に飛び乗る。
貨車には「ファシストを殺すマシン」と書かれたギターケース。
あの黒人少年同様、行き着く先は再び大都会か。
「史実」でも、この時期を経て、ディランは再びニューヨークに戻り、
「偉大なる復活」を遂げるのであった。
そしてもう1人、たえず夢の中のようなザラっとした映像の中で、
シュールな言葉を吐き続けるのは、
フランス象徴派詩人の名を騙る男、アルチュール・ランボー。
現実と内面を同時に描かれたような他の5人と違い、
この男は絶えず内面の深い部分、意識下の象徴として、
すべてをつないでいるようだ。
トッド・ヘインズという監督、よくぞこれだけのものを作り上げた。
もはやディランを讃える記念碑も銅像もいらない。
この映画こそ最高のモニュメントだ。





筋がね入りのディランファンのえいはちさんにも満足できる映画だったんですね〜。
ディランはまさにアメリカ全土を感じさせる人と実感されていたとは。
えいはちさんの記事を読んで、映画のおさらいができました。
賛否両論のようですが、この上なく彼にふさわしい作品であったという思いが強まりました。
ディランについてあまり知らない人にもわりと好評のようですね。
実際、鑑賞したときも、ディランにはあまり縁がなさそうなお客さん(見た目だけですが)が多かったのが意外でした。
近くに座っていた若い女性2人が終了後「コレ好き!」「ダメ、寝ちゃった…」と話していたのが印象的でした。
隅々まで堪能されたえいはちさんならではのレビューですね。
自分が受け流してしまったシーンに、ディラン本人の言動が
あちこちに散りばめられていたことがよくわかりました。
私もスプリングスティーンの来日公演(たしか85年)に
行ったことがあるのですが、やっぱり彼はブルーカラーの
白人社会を代弁しているような印象を受けました。
でもディランのほうには、アメリカ全土を代表する
スケールの大きさがあるように感じます。
えいはちさんのおっしゃるとおり、女優や黒人少年に
ディランを演じさせたことには、そういう意味があったんですね。
改めてディランの偉大さを実感できました。
すばらしいレビューを読ませていただき、ありがとうございました!
筋金入りファンの感想をぶちまけてみました。
今調べたら、136分と結構長いのですね。それでも1カットも気を抜かず見続けられました。
最近の(と言っても1997年以降ですが)来日公演くらいから、客のノリが尋常ではなく、若いファンが増えてる感じがしましたが、この映画をキッカケにさらにファン層が広がると面白いと思います。
ヘインズ監督の「ベルベット・ゴールドマイン」も結構好きな作品でしたし、本作は、最近のやたら多いアーティストをテーマにした音楽映画とは完全に一線を画した作品。ヘインズ監督の時代に切り込むセンスと、彼独自の映像センス。良かったです。ただ一緒に行った娘とはちょっと断絶を感じたのがショック。
冒頭からタイムスリップ。そうですね。僕もディランを聞き始めた頃の感覚が甦ってきました。
ただ、映画の中に描かれた時代はほとんど既にその時も歴史となっていました。
辛うじて、(映画にはそのシーンはないですが)ビリーの汽車が終着駅に着き、ロビーとクレアの離婚が成立し、ジョン牧師が説教を始めたあたりからがリアルタイムで過ごした時代です。
ヘインズ監督も僕とほとんど同世代なのでその点はあまり変わらないかもしれません。
むしろどっぷりとジャックやジュードの時代を知っていたら、こんな風には撮れなかったのでは、とも思います。